「顧客の育成」って違和感ありませんか?

こんにちは。

週末に来年小学校に上がる娘のランドセルを見に行った岡安です。

使い始めるのは1年後だというのに、お店は開店直後から大盛況。

こんな風にお客様が大挙してきてくれるような商売をしたいものですよね。

さて、今日はマーケティングでよく語られる「顧客の育成」(=ナーチャリング)という言葉の違和感についてです。

 

顧客の育成という言葉の違和感

マーケティングやマーケティングオートメーションが語られるときに必ずと言っていいほど出てくる「顧客の育成」という言葉には、以前から違和感を持っていました。

他にちょうどよい言葉がなくて、ついつい使ってしまいますが、この言葉どうなんでしょうか?

違和感を感じていないようであれば、少しマーケティング業界やマーケティングの考え方に毒されているかもしれません。

育成という言葉には、どうしても上から目線というか、「何もわかっていないやつを正しく導いてやる」的な印象がぬぐえません。

違和感の正体を見極めるために、一般的に言われている「顧客の育成」について整理してみました。

 

育成はどこで・いつ・誰に行われるのか

顧客の育成(ナーチャリング)という言葉は、BtoBマーケティングの世界で語られることが多いようです。

BtoCでももちろんあるのですが、単価の低い商品は必要だと感じてから期間をおかずに購買行動が行われるため、いわゆる育成を行っている暇がありません。

そのため、BtoCなどでは、保険とかマンションとかある程度の単価の高い商品を扱っている場合に意識されるようです。

そして育成は、

・情報収集から購買行動が行われる間の検討期間
・直近の購買行動が行われてからリピートさせるまでの期間

などのタイミングで、購入を行う可能性がある見込客に対して行われます。

自社の商品を購入してもらうために、見込客を育成するということですね。

 

このあたりに違和感の正体がありそうです。

自社に有利な情報を伝えて誘導することを育成といってよいのでしょうか。

育成というよりは、洗脳に近い気もします。

 

自社都合ではない顧客の育成は商品・サービス企画から

では、自社に都合のよいだけではない、顧客にとってもプラスになる育成とはどうあるべきなのでしょうか。

ポイントは、本当の意味で必要な情報を顧客に届けてられているかという点にあります。

例えば、自社を含めて複数の競合商品がある状態で、実は、他社商品のほうが顧客にとって良い商品だったらどうでしょうか?

それがわかっていながら、自社の商品を選んでもらうような情報提供を行うことは、顧客にとってプラスとは言えません。

しかし、通常は他社商品を勧めるわけにもいきませんから(時と場合によっては他社商品を勧めるべきだと私は考えていますが)、無理やり情報のねじ曲がった育成を行うことになるわけです。

つまり、正しい顧客の育成を行うためには、商品やサービス自体が顧客にとって本当に役立つものでなければならないという、ある意味当たり前の話に落ち着きます。

顧客にとって本当に役立つ商品・サービスを作り上げていくには、顧客が困っていること・求めていること正しく理解する必要があります。

本来は、顧客を育成するどころか、顧客に育成してもらう立場だといっても過言ではありません。

顧客の育成とか偉そうなことを言う前にまずは顧客から学ぶ姿勢を持ちたいですね。

現実的に商品を選べないような場合どうするべきか

しかし、現実社会においては、商品企画から見直すとか、商品ラインナップを大幅に入れ替えるなんてことは簡単に行えるものではありません。

すでに配られた手札の中で勝負するしかないのが現実です。

そんなときには、まずは商品にあったターゲット顧客を見直すところから始めてみましょう。

自社の商品を購入して満足している顧客にヒアリングするなどして、どんな顧客であれば、自社の商品を喜んで使ってくれるのか。

このあたりを見直すことができれば、売り方や情報提供の仕方も変わっていくでしょう。

見つけられたターゲット顧客が自社の売上を十分にまかなえるものではない可能性もありますが、その場合には、改めて商品企画から始めてみるということでも遅くはありません。

 

育成という言葉でも間違いではないが正しい姿勢が必要

ここまでの流れから、どうやら育成という言葉自体よりも、その裏で行われる活動の姿勢に問題があるという結論になりそうです。

その姿勢に問題があると、一時的には成果をあげられるかもしれませんが、長期的には顧客との良い関係を構築できずに、顧客が離れて行ってしまうかもしれません。

ITツールなどを使って、うちは顧客育成をやっていると胸を張る前に、顧客の育成や情報提供が自社にとって都合のよい洗脳になっていないか見直してみましょう。

ではでは。

この記事を書いた人

岡安裕一